どうも、ヨウ-P(@s_y_prince)ことYO-PRINCEです!
いろんな切り口からカイゴのヒントをお届けしています!
個性の時代。
“らしさ”という言葉がよく使われていますが、“らしさ”とはどういうことだと思いますか?
“らしさ”は、まさに介護の仕事の対象と言っても過言ではありません。
介護は、“らしさ”を支援する仕事です。
ところが、二人以上の関係のなかでは、“らしさ”の支援はなかなか難しいものがあります。
地域のなか、施設のなか、家庭のなか…。
私自身のことで考えてみても、集団のなかで自分らしく生きているかと聞かれたら、答えは『NO!』です。
夫婦の間であっても難しかったりしますから…。
そう考えると、“らしさ”の支援というのはめちゃくちゃ難しいんじゃないかと思うわけです。
そこで、私がオススメするのが「私たちらしさ」という考え方です!
協調性が重んじられる集団のなかでの“らしさ”
地域のなかや施設のなか。
ある程度の集団のなかでは、日本人の場合は“協調性”が重んじられます。
人と違うような言動は、“空気が読めない”とまで言われてしまう始末です(゜o゜)
日本の協調性についてネットで調べてみると、「少数派が有無を言わず、おとなしく空気を読んで多数派に従う性質」とありました。
そして、それは『同調性』だとも書いてありました。
まさにそのとおりで、日本人は同調してしまう傾向がありますよね。
さらには、こんなことが書いてありました。
日本では協調性が常に求められてるが、海外の協調性は『必要なときには団結して力を合わせる』というものだと・・・。
日本の協調性の考え方は世界から見るとやっぱり変なんですね(-_-;)
最近の相撲協会やボクシング協会の問題などは、同調性の最たるもんやと思います。
そんな昔の風習のままでは、これまでと違う意見なんて言えなくて当然です。
残念ながら、そう簡単に日本特有の「同調性」の風土が変わるわけがありません。
そうした問題に気付いている人たちはもがき苦しみ、そうした問題を問題視できない人は楽観的に生きているような日本の現実です。
らしく生きるには、今のところは、嫌われてでも個性を突き通せる強さを持つしかないなように思います・・・(T_T)
では、介護業界に目を向けてみましょう。
同じようなことが起きているわけです(T_T)
一人の利用者さんに特別なことをすれば周りの人から「特別扱いしている」と言われたりします。
利用者さんからも職員からも言われるわけです(T_T)
日本のそうした風土が個別ケアを推進しにくくしてしまっているところはあるような気がしてなりません。
それに加えて、日本は昔から謙遜の美徳が守られてきています。
介護する側がいくら頑張ろうとしても「そこまでしてもらわんでええで・・・」みたいになっちゃうわけです。
日本で“らしさ”の支援をすることって、難しいなと思わざるをえないですよね…。
家族のなかでの“らしさ”
家族という小さい単位に目を移しても、同じようなことはあります。
亭主関白やかかあ天下。
内弁慶に内助の功。
家族のあり方は、家族によって多種多様です。
三世代が同居していたような昔の家族は、おじいちゃんが絶対的な存在であったようですが、そんな考え方は今やどこ吹く風。
おじいちゃんおばあちゃん<お父さんお母さん<子ども
↑この形が今や王道ではないでしょうか・・・(^^;
子の言うことを聞いておかないといけない時代になってきました。
親としても子に迷惑をかけたくないという考え方も多いと感じます。
では次に、夫婦に目を向けてみましょう。
夫婦の形はさまざまです。
それぞれにやりたいことをする夫婦。
仲よく同じ趣味で生きる夫婦。
どちらかが我慢する夫婦。
今のところ、夫婦の形は多様化しているようです。
夫婦別姓とか事実婚といった形もありますからね。
昔と比べたら夫婦それぞれにらしく生きやすくなってきたように思います。
でも、それを続けていこうと思えば、多くの場合はそうもいかなくなっていくんじゃないかなと思います。
どんなに相性の良い夫婦でも、大なり小なり価値観の相違はあります。
パートナーに合わせながら生きている部分はあると思うんです。
そういう意味では、「一人」でない限り“らしさ”を突き通すことってやっぱり難しいんじゃないかなと思うわけです。
結婚しない人が増えているのも、離婚する人が増えているのも、そのあたりが原因の一つのようですしね…。
本当の意味で夫婦それぞれがらしく生きているというのは、極めて少数なんでしょうね。
家族というものは、親子であれ夫婦であれ、相手の幸せを願っている場合には自分らしさってそんなに重要なことなのかなと思えてきます。
そう考えると、“らしさ”ってなんなんだろうとわからなくなってしまうわけです。
“私たちらしく生きる”という考え方
家族の場合は、相手のためと考える“愛”が存在します。
自分が我慢することで相手の幸せがあるとしたら、自分の“らしさ”は押し殺すこともあると思うんです。
つまり、 “愛”がゆえに“あなたの幸せ”こそが“私の幸せ”なわけです!
“愛”が存在する場合は、 “私たちらしさ”のほうがしっくりくるような気がするんです。
だから、介護において「その人らしさ」を支援する場合には、“私たちらしさ”という視点で捉えたほうがうまくいくケースって多いじゃなかろうかと思うんです。
”私らしさ”より“私たちらしさ”。
その支援の形は、「自己決定」ではなく「共同決定」と言ったほうがしっくりきますね。
「共同決定」について知りたい方はこちらの記事をご覧ください↓
まとめ
ちなみに私の“らしさ”は何かと聞かれたら、すぐに浮かぶのがダラダラ暮らすということ(^^;
私の場合、きっと一人身ならダラダラしちゃってます(^^;
今は、妻にお尻を叩かれながら健康的な暮らしができており、らしくはないんですが“幸せ”と感じています。
言ってくれる人がいてこそ、私がいい状態での私でいることができています。
そんな風に考えると、私の場合は妻がいるからこそのらしさであり、それはやっぱり“私たちらしさ”のほうがしっくりくるんです。
お互いにゆずりあったり、あきらめあったりしてて、それが当たり前のような毎日です。(妻の本音はわかんないですが・・・)
家族の場合はそれでいいと思うんですが、もう少し大きな集団を考えた場合には、やはり日本の変な習慣を変えていかないと、“私らしさ”も“私たちらしさ”も難しいなって思います。
まぁそれでも我々はプロなんで頑張りますけどね(^_^)/