どうも、ヨウ-Pです!
今回はBOOWYの「MORAL」という曲を通じて、介護現場のモラル低下を防ぐためのヒントをお届けします!
というわけで、今回の記事は「介護×音楽」で介護について考えていきます。
久しぶりにBOOWYの『MORAL』っていう曲を聴く機会があって、聴きながら考えてみたんですが、この曲には介護現場のモラル低下防止につながるヒントがたくさんあることが見えてきました!
BOOWYの『MORAL』
まずはこの曲を聴いてください♪
この曲を聴いたとき、中学生だったかの私は衝撃を受けました。
曲調がカッコいいのは言うまでもないんですが、歌詞がかなりrockです!
人の不幸が大好きサ
この繰り返しから始まります。
そして、次に・・・
あいつが自殺したってときも 俺はニヤッと笑っちまった
祭り気分が大好きなのさ ただの野次馬根性だけさ
だけどその場に出たら 決まりきった顔をしてるのさ
神妙な顔の下の含み笑いはかくし通して
・・・・それがモラルさ
作詞は氷室狂介となっています。
氷室京介は、デビュー当時は“狂介”と名乗っていたんですね。
この『MORAL』の歌詞、一見狂気じみてますが、人間というものをよく捉えている歌詞だと思いませんか?
今の時代には受け入れられがたい歌詞かもしれないですが、この歌が言おうとしていることは分かる人には分かると思うんですよね…。
いずれにせよ、この歌詞のままでは誤解を招くかもしれませんので、介護バージョンで考えてみましょう。
介護版『MORAL』
作詞はヨウ-Pです。
あいつの退所決まったときも 俺はニヤッと笑っちまった
最後に今日も殴られてやる 名誉の傷で訴訟するのさ
でもオムツ交換は 丁寧に替えてやるのさ
悲劇の介護士を最後まで演じ通して
・・・・それがモラルさ
まぁこんな感じですね(^^;
ここで言う「あいつ」は利用者のことで、その利用者は「施設を出ていかないといけなくなってしまった」というその利用者からすれば不幸な出来事が起きたわけです。
苦手な利用者さんが退所するときって内心ホッとしてしまうものです(^_^;)
苦手と言っても程度があると思いますが、もし利用者に殴られてたら嫌いにもなるし、いなくなってホッとなるのが自然な人間の心だと思います。
殴られなくたって、相性の悪い相手とは一緒にいたくないのも自然なことだと思いますし。
そういう人とは同じ時をともにすることだけでも苦痛だったりするのに、介護士は同じ時をともにするだけでなく、介護をしないといけない。
仕事だから当たり前と言われてしまえばそうなんですけど、本来人に見られることのなかった排泄や入浴に相性の悪い人間が関わっていくことの難しさは少し考えれば分かるはずです。
だから、嫌いな利用者の退所が決まってニヤッとしてしまうぐらいはいいと思うんです。
そんな心を隠し通して丁寧にオムツ交換するわけですよ。
健気だなって思いますよね。
このBOOWYの『MORAL』という歌は、そんな人には言いにくい心の声を代弁してくれているんです。
そう思うことって人として悪くないよね・・・って。
当時の日本としては画期的なことだと感じましたし、受け入れられがたいところもあったと思います。
BOOWYの『MORAL』好きやねん・・・って言いにくいようなね。。。
今や愚痴や不満はSNSでいくらでも発信出来ちゃいますから、今の時代ならさほど驚かれないような歌詞かもしれません。
いや、逆に叩かれるか。。。
時代も変わり、モラルって何なのか分からなくなってきますよね。
介護の中でのモラル、もう少し広げて考えてみたいと思います。
コント『天使と悪魔』風にモラルを考える
さきほどのYO-PRINCE作詞の替え歌、介護士として失格ですか?
そんなことないのです。
誰しも心の中に天使と悪魔って多かれ少なかれいると思うんです。
よくある天使と悪魔のコントみたいに・・・。
チャラララリ~ん・・・。
悪魔😈:あんな利用者さんいなくなってせいせいしてるんだろ~!?
天使👼:だめよ!介護士なんだからそんなこと言っちゃ!
悪魔😈:思うぐらいいいじゃないか!やることやってりゃ!
天使👼:心が介護に出るのよ!そんなこと思うのもだめよ!
・・・まぁ、そんなことってあると思うんですよね。
よくある『天使と悪魔』のコントが人にウケるのは、みんなそういうことがあるからウケるんです。
お笑いの要素って日々の「あるある」が根底にあること多いですから。
そんなみんなの中にいる天使と悪魔。
あいつ嫌いや!いなくなってほしい!
そんな悪魔が心の中にいても天使がいれば私はいいと思っています。
そこの心の中の揺れ動きはあるべきだと思うので。
そして、時として悪魔側の決断があってもいいと思うのです。
悪魔と言うと語弊があるので、ここからは言い換えて天使の部分を「職業人」、悪魔の部分を「組織人」として書いていきたいと思います。
「職業人」と「組織人」としての介護
さきほど、悪魔側の決断があってもいいと書きましたが、ここからは「組織人」としての決断と言い換えます。
天使は「職業人」です。
では、介護士で考えていきます。
「職業人」というのは、介護士としての自分ですね。
介護保険事業所で介護してれば、介護保険制度のなかで仕事をしているわけです。
介護保険の理念である「自己決定」「自立支援」「その人らしい生活の継続」といったものをもとに「職業人」として仕事をします。
また、日本介護福祉士会の倫理綱領から言えば、「利用者本位」「専門的サービスの提供」といったものが介護福祉士に求められています。
なので、「職業人」としての自分は、さきほどの「天使」のような捉え方がベースになってくると思うのです。
利用者本位に考えて、自己決定できるようにしながら自立を支援し、その人らしい生活が継続できるよう専門的サービスを提供していくという、とても天使な考えをしているわけです。
この「職業人」としての考え方は、介護の仕事を選択した以上はなくてはならないわけですね。
一方で「組織人」としての自分。
これを組織への忠誠と捉えて社畜のように考えてしまうと「職業人」=「組織人」となってしまいがちで注意が必要です。
ここでいう「組織人」とは、組織が安定した経営が継続できるようにするためと捉えるので、リスクの視点や継続可能であるかどうか等の視点も含まれてきます。
「職業人」として「いいこと」を考えていても、その「いいこと」が継続できるかどうかを考えます。
さきほどのYO-PRINCEの歌詞のケースで言えば・・・
殴ってくるような利用者の介護を継続できるのか?
それで職員は守れるのか?
職員が守れなければ事業の継続が困難になるのでは?
そんなことを「組織人」として考えることになると思います。
そのように考えるには、まずは事実を共有することです。
事実の多くは職員の愚痴から気付かされることが多い。
「これを言ったら周りからどんなふうに思われるのか・・・」
それを隠し通すことがモラルだとするなら、そんなモラルは介護現場にはないほうがいい。
隠ぺい体質が悪化するだけですから。
「組織人」としての声を出せるような環境を作りながら、それを「職業人」としての思考で点検し、またはその逆の点検も含めた相互の点検作業があるなかで介護がしていけることが理想ですよね。
ちょっと小難しい言い方になりましたが、要するに理想から現実を点検して、現実から理想を点検するような感じですね。
これは今の時代どの組織でも言えることだと思います。
まとめ
モラルとは何なのか??
いろいろ書きましたが、個人的にはBOOWYの『MORAL』にあるようなことがモラルでよいと思っています。
そうじゃないとただの言いたい放題になってしまう。
組織の中で言いたい放題になってしまうと、介護の専門性が見えなくなってしまいがちです。
含み笑いなどを隠し通すのがモラルとしておいたうえで、反モラルが許される時間を会議や面談で意図的につくってあげることが大切と思っています。
その反モラルをもとにしっかりとアセスメントして、何か対策がとれていけば言うことないですよね。
BOOWYの『MORAL』をBGMとして聴きながら、言いたいこと言い合う会議なんかがあっても面白いかもです(^_^;)
そんなROCKな組織もいいんじゃないでしょうか( ・`д・´)