どうも、何かとイチローと結びつけるYO-PRINCEです。
このツイートをした後にふと思ったことを記事にします。
介護ってなんなのか?
— ヨウ-P👑 (@s_y_prince) 2019年5月3日
これまでやってたその人の移乗、トイレ、お風呂、食事、日課…。
いつものやり方、動き、癖を知って、できないところを最小限で補っていくこと。
基本はコレで、ココから始まる介護は面白い!
いろんな発見がある。#介護にまつわる小さな引き出し
人間と介護の関係は、人間と筋肉の関係に似ているのかもしれない…ふとそう思ったんです。
それはイチロー選手の筋肉についての考え方に基づいたもので、そこから筋肉=介護の関係性が垣間見えたので、そのことを記事にします。
イチロー選手の筋肉についての考え方
イチロー選手が以前、元日本ハムの稲葉選手との対談のなかでこんなことを語っています。
筋肉に対してのイチロー選手の考え方がこちら↓
「メジャーに来て最初に思ったのは、周りがでかい奴だらけだということ。
それに対抗しようと、最初は筋肉をつけた。しかし、たった3kg増えただけで、体が全く自由に使えなくなった。
人間の体は、様々なセンサーを出してくれている。過度な筋肉をつけることは、そのセンサーを殺してしまうことに繋がり、それは結果的に怪我につながる。
結局人間は、生まれ持った”関節”とか”腱”なんかは鍛えられないから、筋肉が大きくなるとそれを支える部位で故障が起きてしまう。
ライオンやトラはトレーニングなんかしないでしょ(笑)」
注目した言葉がこちらの二つ↓
①過度な筋肉は人間のさまざまなセンサーを殺してしまう。
②生まれ持った“関節”や“腱”は鍛えられないから筋肉だけ大きくなっても支えられない。
さて、この文章の「筋肉」を「介護」に置き換えると何か見えてきませんか?
過度な介護は人間のセンサーを殺してしまう
人間の体は、様々なセンサーを出してくれています。
介護で考えた場合、人間のセンサーとはどういったものなのか?
それは長年の生活で体に染みついてしまった動き方であり手順であり癖のようなものです。
もちろんそれらの基本としては人間に共通の自然な体の動きがあります。
例えば、立ち上がりであれば、
①足を手前に引く
②おじぎをする姿勢
③お尻が浮いてくる
④立つ
・・・といった生理的動作があり、これは万人共通の動きです。
そこに「動き方」「手順」「癖」といったものが、人それぞれに加わってきます。
①~④のそれぞれの段階の動きの速さが違ったり、立つときに「どっこいしょ」と言ったり「よっこらしょ」と言ったり、両膝を持って立ったりするわけです。
これらは私の中では「その人らしさセンサー」だと捉えています。
その人のテンポを知らなければ、介助の方が速くなってしまい、立つ気になっていないのに立たせてしまうかもしれません。
「どっこいしょ」の合図を知られなければ、「どっこい」ぐらいで立たせてしまうかもしれません。
両膝を持って立つことを知らなければ、両膝を持ち損ねて変な感じで立たせてしまうかもしれません。
どれもこれも「その人らしさセンサー」を殺してしまっています。
筋肉の鍛えすぎは、鍛えられない他の部分とのバランスが崩れ怪我をするとイチロー選手は言っています。
トラやライオンのように自然に鍛えられた筋肉程度でよいということを言っています。
介護も人間らしい動き、その人らしい動きを損なわないようにしないと、不自然な動きを作ってしまい、それは転倒につながり怪我につながるのです。
長年培われた動き・手順・癖等は変え難い
イチロー選手は“関節”や“腱”は変えられないと言っています。
高齢者の場合、長年の生活で体に染みついた動き・手順・癖等はなかなか変え難いものがあります。
私たちでも、それらは変え難いものです。
例えば、どうしても何も持たずに歩かれる人に、杖を持ってもらおうとしてもなかなか使ってもらえないことがあります。
そんな人に、無理やり杖を使ってもらうように日々の介護で杖を促したとしても、見ていないところで杖を持たずに歩かれていたとしたら危なくて仕方がありません。
それなら、杖を持たずに歩ける介護を提案したほうが効果があるかもしれません。
人間の変え難い動き・手順・癖等を変えてしまおうとするような介護は、鍛えすぎの筋肉のような気がしてなりませんね(^^;
介護ばかり大きくなっては要介護者の生活は支えられない
介護が必要になったとき、様々な角度からどういう介護が必要かばかりを考えてしまいがちです。
当たり前のことですが、もっともっとその人の力に目を向けないといけません。
介護をしていると、時間を気にしたり、リスクを気にしたりしてしまって、ついつい不必要に手を出してしまうことは多いです。
一度、その人がどうやって生活するかを、できるだけ手を出さずに自然体のその人を見ようとしてみると良いと思います。
1日だけでも半日だけでも1時間だけでもいいので、1人の利用者さんだけでもいいので注目して、自然体の暮らしを見てみることをおススメします。
意外とその人に力があることに気付けます。
定時でトイレの声かけしていた人に声かけを止めたら自分から「トイレに行きたい」と言われることがあります。
お茶を入れてあげなくても、目の前にやかんがあれば上手にお茶を注げることがあります。
前から抱えて立ち上がりの介助をしていた人に後ろから手すりを指さしてみると、手すりを持とうとすることができることを発見できることがあります。
介護を止めてみると、発見できることがあります。
それが、「その人らしさセンサー」です。
イチロー選手の言われているとおり、人間の自然な動きが一番動きやすく怪我をしないとすれば、鍛えすぎの筋肉は邪魔ですし、やりすぎの介護もまた邪魔になります。
そのためには自分の体を知るということであり、介護で言えばその人の生活を知るということだと思います。
イチロー選手は人は目に見えないところを見ようとしないとも言っています。
筋肉は見えやすいし、介護も見えやすい。
見えるところばかり見てては、要介護者の生活は支えられません。
本当に介護は必要なのか?
まずは見えにくい生活を知ることこそが必要なのです。
まとめ
最後にイチロー選手の言葉を介護版にアレンジしてみてまとめとします。
「介護業界に来て最初に思ったのは、周りが介護しすぎてる奴だらけだということ。
それに対抗しようと、最初は介護技術をつけた。しかし、ちょっと介護後術が高まっただけで、介護しすぎて利用者の力を奪ってしまった。
人間の体は、様々なセンサーを出してくれている。過度な介護をすることは、そのセンサーを殺してしまうことに繋がり、それは結果的に事故につながる。
結局人間は、長年培ってきた”動き方”とか”手順”、“癖”なんかは変えられないから、介護をしすぎるとそれを受け入れる利用者の本来の動きが奪われてしまう。
長生きしているおじいちゃんおばあちゃんって意外とやりたい放題でしょ(笑)」
というわけで、この記事でイチロー選手にまつわる記事は三つ目です(^_^;)
こちらの記事ものぞいてみてください↓