どうも、ヨウ-Pです。
近年、「自分を大切にする」という言葉をよく耳にするようになりました。
私自身もそう思うようになってきて、その言葉のとおり行動している人間の1人です。
ですが、一方でどこか違和感があって、納得しきれないものがあり、今日に至っています。
いまだに自己犠牲で頑張っている介護士さんは山ほどいて、「自分のため」と言って頑張っている人が自己犠牲にしか見えないこともあったりするもので・・・。
「自分のため」ばかりがクローズアップされる時代ですが、「誰かのため」についてもっと見つめ直してみてもいいんじゃないかと思うことがあります。
「誰かのため」と言えば、Mr.Childrenの「タガタメ」という曲があります。
というわけで、今回は「介護×タガタメ」で記事を書きたいと思います。
- 「誰かのため」である介護の仕事
- 「自分のため」とすべき介護の仕事
- Mr.Children「タガタメ」から考える大人が持つべき思考
- 「自分のため」と「誰かのため」の両軸で考えられる仕事にしていこう!
- まとめ
「誰かのため」である介護の仕事
介護の仕事は「誰かのため」の側面が強く、以前の介護施設は「誰かのため」の思考の職員で成り立ってきたと言っても過言ではないと思います。
「誰か」というのは「利用者」のこと。
「利用者のため」と、介護士は無理をしていたのです。
休日出勤当たり前、サービス残業当たり前という時代が長く続いていました。
完全にブラック企業ですね(--;)
残念ながら、今でもなお、その色が残る施設は多いと思います。
「利用者のため」というより「会社のため」となってしまっているから、「利用者のため」が「社畜」のように見られるようになってしまった・・・。
これは、そういう経営をしてきた介護施設の経営者らの責任なのでしょうか?
それとも、そういう経営をせざるを得なくした国の責任なのでしょうか?
本来は、「利用者のため」という仕事の仕方は決して悪いことではなく評価されるべきなはずです。
なぜなら、介護は「誰かのため」である仕事だからです。
「誰かのため」にした仕事が、ちゃんと評価されて、それに見合った収入が得られるとしたら、それは結果として「自分のため」になります。
ただ難しいのが、これですね・・・↓
「誰かのため」にどこまでするの?
どこまですれば、どれだけ評価してもらえるの?
介護はどこまでするのか?
どこまでするかが明確になったとして、その評価はどれだけのものなのでしょうか?
いずれにせよ、「どこまでするか」を標準化してしまうことが大切です。
その仕組みがないとどうなるでしょう・・・。
このぐらいしといたら十分じゃない?
そこまでせんでもよくない?
そんなやりとりが介護現場で繰り広げられてしまいます。
SNS上でも、そんなやりとりが繰り広げられてしまいます。
どうせ評価されんのやったら、無理せんでええやん!
自分の身体が一番大事やで~!
そんなふうにして、「自分のため」が主流になっていくのは極めて自然なことだなと感じます。
でも、やっぱり忘れてはならないのは、本来介護の仕事は「誰かのため」に頑張る仕事であるということです。
介護は本来は「誰かのため」の仕事であるということを押さえた上で次に進みます。
「自分のため」とすべき介護の仕事
ちなみに、私も以前はどちらかと言えば「自己犠牲」のもとで頑張っていた部類です(^_^;)
でも実は、内心はこう思ってました・・・。
なんでこんなに頑張らなあかんねん(-_-;)
これが本心であったわけですが、そんなことを言えるような環境じゃなかったんですよ・・・昔は(^_^;)
ですが、そんな過去とはもうバイバイです(^_^)/~
「自分を大切にしよう!」と決めてから、少しずつ行動が変わっていきました。
ブログやツイッターも、そんな行動の変化から始めたものです。
すべては「自分のため」!
「自分のため」に頑張った結果が「誰かのため」につながるという思考が当たり前になっていきました。
多くの人が言われているとおり、私もこう思うようになりました↓
自分を大切にできない人間が他人を大切にできるわけがない!
何をするにしても、身体が資本ですし心が資本です。
心身の不調を来したときに、その職員を守れるほど介護業界の会社にそのノウハウがあるでしょうか?
まだまだ整っていない会社のほうが多いと思います。
だとしたら、介護士はどうするか?
「自分のため」と割り切って仕事をすることが介護の仕事を継続できるという判断になりますよね。
人材不足の介護業界は、今頑張っている介護士が継続して介護の仕事ができることを最優先に考えざるを得ない状況です。
介護士が疲弊しないように、「自分のため」という思考を極端なぐらいに取り込んでいかないといけなくなっているのでしょう。
極端に「誰かのため」思考であった介護業界は、極端な「自分のため」思考への転換が求められているのかもしれません。
Mr.Children「タガタメ」から考える大人が持つべき思考
さて、ここでMr.Childrenの『タガタメ』という曲を聴いてみましょう。
めちゃくちゃ名曲です↓
この曲は、少年少女が被害者となり、また加害者となった二つの事件をきっかけに作られたと言われている平和を願った歌です。
タタカッテ タタカッテ
タガタメ タタカッテ
タタカッテ ダレカッタ
タガタメダ タガタメダ
タガタメ タタカッタ
※出典:タガタメ/Mr.Children 作詞:桜井和寿
こんな歌詞があります。
誰のために戦うんだ?戦ってどうなったんだ?
そんな戦争や紛争への疑問をぶつけているわけですが、歌詞は全てカタカナで書かれています。
言葉で表しにくい疑問をカタカナにすることでその表しにくさを表現されているようです。
すごいな!桜井和寿(@_@;)
いやいや、ホントにすごい表現方法だなと思うわけですが、何のために戦っているのかという答えが出ることなんてきっとないと思います。
そんなことが分かっていればきっと戦争はなくなっているでしょうし…。
自分勝手な大人たちは何のためか分からないような戦争を繰り返しているのです。
では、この歌詞を見てください↓
子どもらを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
※出典:タガタメ/Mr.Children 作詞:桜井和寿
子どもたちが被害者になり、また加害者になるような少年犯罪が今も絶えません。
そうした少年犯罪をなくすには、私たち大人が何をすべきかを考えなければいけないと桜井和寿は歌っています。
戦争のない今の日本がどうかと言うと、大人たちは社会に出ると汚いことをたくさんやっています。
汚いことまでいかずとも、自分中心に考える大人が多いと思います。
子どもたちには「思いやりが大切」と言いながらも、大人になれば自分を中心に考え始めるのです。
そして、私たち大人は自分たちの保身ばかり考える経営者を叩きつつ、労働者の立場では「自分を大切にしよう」と言い始めました。
みんながみんな自分を大切にし始めたら世の中はどうなってしまうんだろう??
これが冒頭に述べた「自分を大切にする」という考えへの違和感です。
ストレス社会のなかで「自分を大切にする」ということはとても大事なことですが、それが極端な方向へ向かうのはやはり間違っているんじゃないかと思うのです。
もちろん心の病気を抱えた時、抱えそうになった時は、極端なぐらいに自分を大切にすべきとは思います。
そうでない限り、やはり大切なのは、「自分のため」であり「誰かのため」というバランスのとれた感覚だと思うのです。
最後にこの歌詞をご覧ください↓
でももしも被害者に 加害者になったとき
かろうじて出来ることは
相変わらず 性懲りもなく
愛すこと以外にない
※出典:タガタメ/Mr.Children 作詞:桜井和寿
最終的にできることは「愛」だと桜井和寿は歌っています。
ここでの「愛」というのは、自分でなく「誰か」に向けられているものです。
どんな状況であっても、平和であるための条件には、人間の「誰かのため」という思いは欠かせないと思います。
介護の仕事は、どれだけ「自分のため」と言いながらも「誰かのため」と思って毎日を繰り返す仕事です。
「誰かのため」という思いをもっと大切にしてもいいんじゃないでしょうか?
前述のとおり、介護は本来は「誰かのため」の仕事であるということに立ち戻るべきです。
とはいえ、介護の仕事において、「自分のため」なのか「誰かのため」なのかという問いは、言葉では表しにくいカタカナで書いてしまいたいようなことであり、簡単に「自分のためだ!」「誰かのためだ!」とも言いがたいことなのです!
「自分のため」と「誰かのため」の両軸で考えられる仕事にしていこう!
というわけで、「自分のため」であり「誰かのため」でもある介護の仕事にどのように立ち向かうべきかについて、私なりの答えを示しておきたいと思います。
ここで言う「誰か」というのは介護の仕事であれば「利用者のため」と捉えてもらったらいいと思います。
まず、「自分のため」「誰かのため」のどちらが先であってもいいと思うんです。
「自分のため」に介護の仕事をするというのであれば、「自分のため」に仕事をした結果が、ちゃんと「誰かのため」につながっているかを確認すればいいのです。
「誰かのため」に介護の仕事をするというのであれば、「誰かのため」に仕事をした結果が、ちゃんと「自分のため」につながっているかを確認すればいいということです。
誰かのため⇔自分のため
この二つを行ったり来たりして確認しておけば、自分も大切にしながら誰かも大切にできるはずです!
まとめ
今回は少しマジメに書いてしまいました。
賛否両論はあると思いますが、どんなこともバランスのとれた思考というのは大切だと思っています。
「自分のため」という言葉はとても便利な言葉です。
特にストレス社会においては、そう割り切る思考はとても救われることと思います。
そんなふうに言ってくれる人に安心感を抱くことと思います。
ですが、私たちは子どもの頃。大人たちに何を教わって来たでしょうか?
「思いやり」や「相手の気持ちを考える」ということの大切さを大人から学んできたはずです。
そして、大人になってそれを子どもたちに教えているはずです。
「自分を大切にする」ということは確かに大切なことですし、私もそう思って行動していますが、極端に「自分を大切にする」という言葉が使われ過ぎる現状においては、少し立ち止まって考えるべきかなと思っています。
「自分のため」と「誰かのため」という両軸の思考をバランスよく保てるようにしていれば、きっと自分も大切にしながら介護の仕事ができるはずです。
そして、ストレスで押しつぶされそうになった時には、「自分のため」と割り切る思考に切り替えられるようにしておきましょう!
あと、大事なのはそれが出来る環境を会社が整えることです!