どうも、令和になっても変わらず介護業界のためにブログを書き続けるYO-PRINCEです。
令和がスタートし、新たな時代の幕開けとともに、列島各地が祝賀ムードに包まれています。
私自身はあまりそういったムードを感じずにいるのですが、こういう機会にこそ「新たなスタート」として踏み出していくことは大切なことです。
私としては「新たな介護」の形を作り上げていかないといけないと感じているわけですが、停滞気味の介護業界を変えるような「救世主」が現われてくれたらそんな楽なことはありません。
実は、この「救世主」という思考は、介護業界だけでなく福祉業界に多く潜んでいます。
みなさんは、メサイアコンプレックスという言葉を聞いたことがありますか?
メサイアとは、メシア(救世主)のこと。
新たな時代を迎え、福祉業界の「救世主」となりたい方、すでに行動を起こしている方、「救世主」が現われることを期待している方、ちょっとだけ立ち止まってみましょう。
メサイアコンプレックスとは?
メサイアとはメシア(救世主)のことです。
福祉職の人たちは「困っている人の力になりたい」といった気持ちからこの仕事を始めた人が多いと思います。
誰かのために一生懸命になって、困っている人たちを助けるということは、私たちの仕事の使命・・・これは私もそう思っています。
純粋に善意で仕事に向き合っていればいいのですが、メサイアコンプレックスの人はこんなふうになります↓
①とにかく困っている人を助け続ける。
②人を助けることに依存してしまっているような状態になる。
③人を助けるためなら何でもできるぐらいの勢いがある。
④人を助けるということに、自分の存在価値を見出いしている。
困っている人たちにとって、あたかも「救世主」かのように立ち振る舞っていくことで、人を助けることこそが自身の使命であり、存在価値であると捉えていってしまう・・・。
その先にどうなるかと言うと・・・
「なぜこれだけしているのに、分かってくれないのか!?」
・・・となってしまいます。
善意から始まっていた行動がいつしか偽善へと変わってしまいかねず、自分のために人を助けるということに陥ってしまいます。
これが福祉の仕事の怖いところだと思うのです。
困っている人たちのために、サービス残業をいとわず、休日出勤もいとわず、無理と思わずに無理をしてしまう。
1人の困りごとに力を注ぎ過ぎて周囲が見えなくなってしまい、バランスよく仕事ができず、周囲を困らしてしまうようなことも多く見受けられます。
まずは、福祉従事者がこの「メサイアコンプレックス」に陥りやすいということは知っておいた方が良いと思います。
福祉業界の救世主がするべき二つのこと
福祉業界で困っている人というのは、利用者だけではなく、福祉従事者もまた困っている人の対象となります。
福祉従事者の困りごととは何なんでしょうか?
①頑張っているのに報われない
②頑張っているのにもうこれ以上頑張れない
③利用者からのハラスメントに困っている
④人間関係に困っている
こんな困りごとに対して、「救世主」は何とかしようと立ち上がります。
福祉業界は、以前は「困っている人たちのため」という理念だけで成り立っていたのですが、現在はそうでもありません。
「働き方改革」が問われている時代であり、働く自分自身の生活も大切にすることが必要と言われている時代です。
要するに、「人を助ける」ということと「自分を守る」ことの二つが求められているのです。
福祉従事者にとって「人を助ける」「自分を守る」の二つが守れるために、福祉従事者の救世主は行動を起こさないといけないということになります。
「自分を守る」ことができないと「人を助ける」ことはできない?
最近の風潮として、「自分を守る」ということに重点が置かれていることが多く見られます。
時代の流れとしてSNS等の影響も受けながら極論の方がクローズアップされる時代であることが、そういった風潮を作っているんだと思います。
そんななか福祉業界においてもこんなことが多く言われるようになりました。
「自分を守れない人には他人は救えない」
これはネット上だけでなく、現実でもよく使われる言葉です。
確かに「自分を守る」ことができなければ、「人を助ける」ことができません。
「人を助ける」ための自分が無理をし過ぎて心身を壊してしまっていては本末転倒です。
「人を助けることこそが自分の存在価値」という「メサイアコンプレックス」に陥りかねないのです。
ところが、「人を助けるこそが自分の存在価値」という人は実はたくさんいます。
「自分のためより誰かのために生きる」という生き方の人がそれに当たると思います。
そういう生き方の人がいるのは普通のことです。
「自分を守れない人に他人は救えない」といった言い方には、どこか違和感を覚えるんです。
「自分を守れない人に他人は救えない」という言い方は極論であり、「誰かのために生きる」という生き方の人を全否定しかねません。
もちろん「自分を守る」必要がある人たちには、そうした極論で手を差し伸べていことは必要なことです。
ただ、「誰かのために生きる」というような生き方についても同じように手を差し伸べていかないといけないと思うんです。
「誰かのために生きる」って今の時代言いにくい感じがしますけど、「誰かのために生きる」けども「自分を守る」というスタンスで十分ですし、そういった情報発信ももっとあったほうがいいと思います。
時代はネット社会なので、ネットでのやりとりこそが正しいかのような風潮があります。
ネット社会では見えない部分についてもちゃんと光を当てて福祉業界を見つめなおしていかないと、どちらかに偏ったような現場ができあがってしまうのでは・・・と危惧しています。
「自分も他人も守れる」福祉業界を創る
価値観が多様化する福祉業界はどうあるべきか?
やはり答えは「共存」にあるのかなと思います。
「自分の守る」ことに重きを置いている人も、「人を助ける」ことに重きを置いている人も、その両方が守られるような福祉業界を創っていくしかないと思っています。
考え方としては、この二つの考え方でいいと思います。
①「自分を守る」ということを大切にした仕組み・風土を作る。そうすることで「人を助ける」ことのできる質を高める。
②「人を助ける」ということが継続的・安定的に行うことを目指す。そうすることで「自分を守る」ことのできる仕組み・風土を作る。
「自分を守る」ことで「人を助ける」
「人を助ける」方法を見直し「自分を守る」
この二つの思考が職場にあれば、福祉従事者同士で価値観がぶつかり合うこともありません。
価値観がぶつかったとしたら、それは経営者側の責任であり、経営者側に①②の仕組みと風土の改善を求めていくという動きをしていけばよいと思うのです。
「自分を守る」と「人を助ける」の二つの双方向の思考こそが、今後の福祉業界の経営においてもっとも重要であり、このことでしか今後の福祉は語れません。
なぜなら、福祉人材の確保は極めて困難な時代に突入しており、外国人労働者や介護ロボットの力を借りたとしてもなお人材が不足しているような時代になるわけです。
福祉人材の様々な思想を大切にし、それぞれが気持ちよく働くことのできる福祉業界を創っていくしかない思いますし、このブログもその一助となればと思っています。
まとめ
「救世主」という思考は、大なり小なり福祉職の方のなかにあるのかもしれません。
「自分を守る」という価値と「人を助ける」という価値が共存できる福祉業界を創っていれば、それぞれが「救世主」でいいと思います。
「救世主」も多様化すればいいんです。
それぞれが認め合えれば。
ただし「メサイアコンプレックス」」に陥らないように注意だけはしておいたほうがよいというだけのことです。
とはいえ、私としては「自分の存在価値のためにでも人を助ける」という「メサイアコンプレックス」に陥ってしまった方の存在をも大切にしないといけないと思っています。
なぜなら、その人たちは人一倍「人を助ける」ことに努力した人だからです。
対利用者であれ対福祉従事者であれ、「人を助ける」ことの努力をした人が偏った思想で『メサイアコンプレックス』に陥ってしまったとき、今度は周囲がその人を助けてあげればいいじゃないかなと思っています。
もし、それが難しいなら無理をする必要もありません。
経営者側に託しましょう。
そうした責任は経営者側に任せて、福祉の現場はチーム内での相互理解にこそ力を注いでおけばよいと思います。
本当は、福祉従事者同士での批判のし合いなんてする必要がないんです。
会社の理念や方針のあいまいさこそが問題なことは多いものです。
そう考えると、会社の理念や方針ってとっても重要なことに気付くと思います。
この記事を読んで、皆様の職場の理念や方針についても考える機会としてもらえたらと思います。